おいしいコーヒーの秘密は「自立した農園」に。タンザニアで日本人が挑む、土地への責任

おいしいコーヒーの秘密は「自立した農園」に。タンザニアで日本人が挑む、土地への責任

「我々はNGOではなく、ちゃんと稼げる農園として生きていく。この土地を買っちゃったから、もう逃げようがないんです」。そう力強く語るのは、タンザニアでコーヒー農園を運営するオスティジャパンの溝内さん。 今回は、1杯のコーヒーの背景にある、優しくも覚悟に満ちた物語をお届けします。

逃げ場のない土地で、地域と生きていく。「農園を買った責任」

逃げ場のない土地で、地域と生きていく。「農園を買った責任」
コーヒー農園の運営責任者・溝内克之さん

ハルメクで25年4月から販売している「ンゴロ ンゴロ・コーヒー」。そのコーヒー豆は、アフリカのタンザニア北部に位置する世界遺産「ンゴロンゴロ自然保護区」に隣接する、広大な農園で栽培されています。

農園運営の責任者の1人である溝内さんは、2023年の6月からオスティ社に加わりました。単なる「ビジネス」として携わっているのではありません。

「世の中には色々な支援の形がありますが、私たちは日本の企業としてこの土地を買いましただから、地域と向き合うのは必然なんです」

かつてキリマンジャロの山間部のコーヒーを生産する小規模農家の生活について研究していた頃、溝内さんは「コーヒー危機」を目の当たりにしました。価格が暴落し、農家が次々とコーヒー作りを諦めていく姿。

おいしいコーヒーを飲み続けたいなら、当然ですが作ってくれる人がいなくちゃいけない。農園が地域と一緒に良くなったね、と思える状態を作る。それが、私の使命だと思ったんです」

お金だけでは変えられない。「一緒に住むこと」にこだわる理由

お金だけでは変えられない。「一緒に住むこと」にこだわる理由
日本人スタッフ4~5人が農園に住んでいる

コーヒー農園の運営のために日本人が現地に住み、ここまで深く関わることは、実は非常に珍しいことです。ハルメクがこのコーヒーを選んだ大きな理由も、まさにこの「現場力」にあります。

日本人が現場にいることこそが、僕たちの強みです。

お金だけをポンと渡して終わりにするのではなく、同じ場所で一緒に暮らし、一緒に働く。

どうすればみんなの生活が良くなるか、どうすれば利益を出せるか。その場で共に考える。結局、一番思いが伝わるのは『そこに住むこと』なんです」

言葉の壁も、溝内さんは自らこじ開けました。

社内でスワヒリ語(現地の言葉)を話せるのは僕だけなので、ワーカーさんとダイレクトにやり取りができる。現地の言葉で説明してあげると伝わり方が全く違いますね。

厳しいボスの顔をしていないと動かない時もあるので、『話しやすい相手』とは思われていないかもしれませんが(笑)。それでもスワヒリ語で挨拶を交わし、本音で話し合える関係を育てています」

同じ農園の仲間として汗を流す。この溝内さんのひたむきさが、他にはないンゴロ ンゴロ・コーヒーの高い品質と、深い味わいを支えているのです。

タンザニアに入って26年。溝内さんがアフリカを選んだ「意外な理由」

タンザニアに入って26年。溝内さんがアフリカを選んだ「意外な理由」
タンザニアの警察学校で、現地の柔道教師へ指導中

「なぜアフリカだったんですか?」と聞くと、溝内さんは照れくさそうに語ってくれました。

「実は僕、本当は寿司屋になりたかったんですよ。本当ですよ(笑)。中学の卒業前に母親にそう言ったら、『高校だけは行ってくれ』と説得されて。母子家庭で楽な生活ではなかったので、高校を出たらすぐ働こうと思っていました」

転機は、高校3年生の夏に訪れます。 「自分で働きながら大学に行こうと思って、そこまでするなら、本当にやりたい学問をやりたい。そう思って調べていたら、友人が『文化人類学が向いているんじゃない?』と教えてくれたんです。

本を読んで一瞬で『これだ!』と。人生をかける価値がある学問だと思いました」

文化人類学とは、現地に住み着いてその社会や文化を学ぶ学問です。大学にはアフリカや中米など、世界中を研究する先生がいました。

「たまたま研究室が五十音順に並んでいて、『う』の先生が一番手前の部屋にいたんです。試しに入ってみたら、すごくいい人で(笑)。

当時、僕は貧乏学生でしたから、ご飯を食べさせてくれる先生は、まさに『神様』でした。別のアフリカ研究者の先生も、夕方になると研究室でカレーを振る舞ってくれる。夕方にお腹を空かせてそこへ行けば、ご飯が食べられる。

そうすると、もうアフリカに行くしかなくなりますよね(笑)。完全に『餌付け』されたんです」

冗談めかして笑う溝内さんですが、その情熱は本物でした。 

「独学のスワヒリ語」がこじ開けた、タンザニアへの扉

「独学のスワヒリ語」がこじ開けた、タンザニアへの扉
協力隊の任期を終えた送別会で柔道の弟子たちと

溝内さんとタンザニアの絆を語る上で欠かせないのが、大学生時代に独学で習得した「スワヒリ語」です。

「将来はアフリカで研究をすると決めていたので、大学時代に自分で勉強し始めました。幸運にも、大学にはスワヒリ語が少し話せる先生が3人ほどいたんです。昼休みなどにお願いして、勉強を見てもらっていました」

「22歳で、大学を2年休学してアフリカへ行こうと思った時に、青年海外協力隊という道があることに気がついたんです。もともと武道専門の高校へ行っていて、柔道は得意でした。

スワヒリ語を事前に習得していたこともあり、導かれるようにして第三希望だったタンザニアへの派遣が決まりました。任されたのは、警察学校での護身術指導です。そこから26年、僕の人生はタンザニアと共にあります

「安定」よりも「大変そうな道」を。40代半ばの決断

「安定」よりも「大変そうな道」を。40代半ばの決断
持続可能な農園運営、新しい村作りに取り組む

1999年に青年海外協力隊員としてタンザニアに渡ってから、溝内さんはずっとこの国に寄り添ってきました。文化人類学の研究者としてコーヒー農村に暮らし、JICAや日本大使館のスタッフとして、国際協力や外交の仕事に携わってきた「タンザニアのプロ」です。

そんな溝内さんに転機が訪れたのは、2023年2月のことでした。

「最初は、新しい日本企業がタンザニアに来るからその相談だと思って話を聞いていたんです。そうしたら突然、『4月から一緒に農園をやってくれませんか』と誘われて。いやいや、無理ですよ!と一度はお断りしたんです」

実はその時、別の国での安定した仕事も決まりかけていました。それでも溝内さんがオスティ社への参画を決めたのには、強い思いがあったからです。

「ずっとタンザニアにお世話になってきて、自分の経験を一番活かすのに何をするべきか。現地の人と真正面から向き合い、新しい村の形(スマートビレッジ)を創り出すこの仕事こそ、僕がやるべきなんじゃないかと思ったんです。それに……何より『めちゃめちゃ大変そう』だったから、こっちにしようと決めました」

そう言って溝内さんは笑います。

農園運営に携わるスタッフと溝内さん

「40代半ばという年齢を考えて、残りの人生で現場に立ち続けられる体力と気力があるのは、今が最後かもしれない。給料や条件が分かっている安定した道よりも、先が見えないけれどワクワクする挑戦を選びたかった。ふわっとした地域貢献ではなく、農業という地道な仕事で、しっかりとした基礎を築きたかったんです」

日本で待つ奥様は、条件の良い別の仕事を蹴ってまで過酷な環境へ向かおうとする溝内さんに、こう言ったそうです。 「どうせ、あんたはこっち(農園)を選ぶんでしょ(笑)」

約550人のワーカーの生活を守る「当たり前」の仕組み

溝内さんが農園運営の一端を担うようになったとき、驚いたことがありました。 それはオスティ社が農園を引き継ぐ前、働く人の多くが「契約書」を見たこともなかったことです。

「以前は正規の契約を結んでいる人は200名もいませんでした。でも今は、550名以上に雇用を広げ、全員と契約を結んでいます。そうすれば社会保障もつくし、年金も貯まる。それが『当たり前』の生活を支える第一歩なんです」

もちろん、コストは上がります。それでも溝内さんは妥協しません。

安い労働力に頼るのではなく、効率を上げてちゃんと稼ぐ。日本の会社として、現場で一緒に汗を流して生活を向上させる。『日本人が来たことで、生活が良くなった』と少しでも思ってもらいたい。

それが地域の人に一番伝わる方法ですから」

1杯2円の寄付が、栄養たっぷりの給食になる「寄付つき」コーヒー

1杯2円の寄付が、栄養たっぷりの給食になる「寄付つき」コーヒー
「寄付付き ンゴロ ンゴロ・コーヒー」

ハルメクの「寄付付き ンゴロ ンゴロ・コーヒー」は、1杯につき2円が寄付できます。

2円と聞くとわずかに感じられるかもしれません。でも、現地では50円〜100円ほどの価値に相当します。今の子供たちの食事は、トウモロコシと豆を煮たものだけ。そこに給食で栄養をプラスできれば、食の楽しみも多様性も広がるんです」

溝内さんは今日も、スワヒリ語でワーカーさんとコミュニケーションを取り、最高の豆を育てています。

『ハルメクのコーヒーを飲むと、自分もちょっといいことをしているな』。そう思いながら、くつろいでいただけたら。タンザニアの子どもたちが笑って食べていれば、未来はひらけていきますから」

皆様が選ぶ一杯が、子どもたちの笑顔と、おいしいコーヒーを守ることにつながります。 ふくよかな香りと共に、アフリカの空の下の物語を感じてみませんか。

溝内さんの想いが詰まった、
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